江戸時代の庶民暮らしや食べ物を研究|目がテン歴史研究会6弾2018年4月1日

目がテン歴史研究会第6弾は江戸時代

当時世界最大だった江戸の町で、質素でものが少なかったのですが、協力・共有しあって幸せの生活をしていたと言われる町人の暮らし。

では町人はどのような暮らしをしていたのでしょうか。

大河ドラマ「西郷どん」や「龍馬伝」で時代考証を担当した、東京学芸大学の大石学教授とともに、目がテンが科学します。

そして、今回こそ都丸紗也華さんは寝ることができるのでしょうか?

江戸時代の庶民の服装は

江戸時代の庶民にとって着物は高いものだったので、たくさん持つことができませんでした。

1着を長く着るように、着物は地味で汚れが目立ちにくいものが中心

女性は一般的に、髪は丸髷に、袖が邪魔にならないようにたすき掛けをし、前掛けをしていました。

また、えりは汚れが目立たないように黒い布が使われています。

江戸時代の庶民暮らし言えば長屋

江戸の町の表通りには、表店(おもてたな)と呼ばれる商店が軒を連ねています。

そしてその裏に長屋がありました。

入り口には、木戸と呼ばれる門があり、住人の名札が付いています。

棟割り長屋と呼ばれ9尺2間の長屋が大半で、おおよそ6畳の部屋に家族4人が暮らしていました。

大変狭いのですが、これは当時の身分制度もあって仕方がなかったようです。

江戸の町は武士と町人で住む場所が決まっていました。

江戸には武士が65万人に対して、町人が60万人住んでします。

それなのに、町人は武士の1/5の土地しか住むところがなかったのです。

そのため、どうしても1部屋を狭くしなくてはありませんでした。

そんな狭い長屋ですが家賃は今のお金に換算すると約10,000円、隣の声が筒抜けというものでした。

プライバシーがまったくなく今では考えられませんが、長屋に住んでいる人はお互いの生活が分かるため防犯にもなっていたのです。

長屋の作りは、ものすごく簡単

江戸時代は、武家屋敷などもあり建築技術はそれなりに確立されていました。

それなのに、長屋は壁が薄く簡単な作りになっています。これは江戸の火事の多かったことが関係しています。

江戸の時代は火事が日常茶飯事でした。しかも江戸の町は水不足で、火事が発生したら建物を壊して消火する破壊消火という方法がとられます。

そのため、長屋は壊しやすいように簡単な作りになっています。

江戸時代の260年間で起こった大火は90件、3年に1度の割合で江戸全体を焦土にしてしまうような火事が起きていました。

そのため、町人は必要最低限の物しか持たない生活送っていたのです。

当時は損料屋と呼ばれる、日用品・家具・衣装を貸し出す店もあり、ものを持たなくても生活には困らなかったのです。

良く江戸っ子は「宵越しの金は持たない」という言葉を聞くと思いますが、火事で燃えるくらいなら使い切ってしまえという考え方のようです。

当時職人の日給が約8,000円で2日間働けば、長屋の家賃が払えれしまうので「宵越しの金は持たない」という事も出来たというわけです。

江戸時代の庶民暮らしは循環型

長屋は共同トイレですが、排泄物は下肥と呼ばれ畑の肥料として高値で地方の農家が買っていました。7人住まいの長屋で年間約80万円にもなったそうです。

そして、地方でできた野菜を江戸の人が消費するという循環型の生活が成り立っていました。

洗濯には、かまどの灰と水を混ぜたものの上澄み液を使用しました。かまどの灰の上澄み液はアルカリ性で皮脂やアカなどの油分やたんぱく質を分解する作用があり非常に合理的だったのです。

しかも灰は、肥料として農家が買っていったりもしていましたので、本当に捨てるという考え方が少なかったのでしょう。

江戸時代の庶民の食事

江戸時代は振売商人と言われる人たちが、野菜も豆腐も魚も長屋まで売りに来ていました。

そのため、長屋の人はほとんど買い物に出かけることが無かったそうです。

食事は極めて質素で一汁一菜

もちろん成人の男性などは、この量ではおかずが少なく食事が足りません。

そのため一日5合もの白米を食べていたそうです。

この白米中心の生活はビタミンB1がどうしても不足します。そのため江戸時代の中期までは脚気(かっけ)が奇病として蔓延していたそうです。

江戸時代の庶民暮らしや食べ物 まとめ

質素で物は持っていなかったけれど幸せに暮らしていたという江戸の町人。逆に物がないからこそ良かったのかもしれませんね。

ちなみに今回も都丸紗也華さんは寝ることができませんでした。

この子ふかふかのベッド以外は眠れないんじゃないかな。

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